2. 移籍したけど


鬱々とした日々を過ごしながら転職活動を再開しました。と、そのとき取引先(以降B社)がうちに来ないか、手取りそこからプラス3万してあげるから、というので即移動。それが2011年8月あたり。それでもね、蓋をあけると健康保険を自分で払わないといけないという扱いでした。A社の健康保険から継続にして貰いその分自分の給料から払うようになって、結局手取りは1万ぐらい増えたかな。それでも18万って…。

A社同期の彼と話しをすると長い間保険料を支払っていないとかで「病院なんて相当いってないですね。インフルエンザとか掛かったら死ぬつもりです」とかいってた。そんなところに来ちゃったんだな…と自分の甘さを呪った。それでも無職でいるよりはマシだったった、と思わないとやっていけないよ正直な話し。

移った先でも同じようなシステム開発作業に従事していました。A社よりももっと顧客よりの業務でシステムを使うユーザとより綿密な打ち合わせをしつつ、自分でサーバ、DB、ネットワーク構築、ハードの調達、値引き交渉等、半導体開発時、ワークステーションメインフレームに接続して一日中端末に向う日々とは真逆で、話たり体動かしたり人と会ったりという今振り返ると貴重な体験ができました。これは結果的に大きな財産で、今の業務に超生きてます。

半導体設計の頃はいっちゃあれですが、取引先も同僚も高学歴で頭の回転も早くスムーズに意思疎通ができまして、それが当たり前の感覚でいたのですが、この時の顧客はそもそもハード、ソフト自体の区別さえよくわかっていない、おじさんおばちゃんを相手に彼ら彼女らでも理解できるような話や説明をしないと仕事が進まないので、随分と苦労しました。ただ、漠然と便利にしてくれ、という大まかな指示から、現在の仕事の流れをヒアリングし、現場での作業を観察させてもらいながら話をして、まず信頼関係を築き(これが超重要でした)そこから腹を割って話す。商売としては基本なことなのでしょうけれど、そういう泥臭さい仕事はやってこなかったので、戸惑いましたが結果、対人スキルは格段に上がったと思います。

移った先ではより忙しさが増し、当初は仕事で作ったシステムが安定するまでまともな時間に帰宅することができず、就活もロクにできない日々でした。

3万に増えてもそもそも手取りが20万に満たずで、そこから健康保険代を2人分払うんですからね。子供もいるし、嫁のバイト代(月5〜6万、保育所代除く)もあるけれどそれでは貯金ができないし、学費、老後なんて考え始めたら死ぬほど不安でした。

1. 無惨な転職先


しかしまあ貧すればする、という言葉もありますように冷静であればA社になんて就職しなかったよな、と振り返って思います。が、んなこと当時わからなかったよ。よほど経済的にも精神的にも困窮していたんで、切れかけの細い蜘蛛の糸に縋ってしまったんです。

ハロワで見つけた就職先だったんだけど、給与は20万〜30万と書いていながら実際は最低ラインの20万。手取りにしたら17万…。健康保険があったのが唯一の利点でした。試用期間後に給与は見直すとあり、面接担当だった専務が「当然見直す」と口約束してくれたのでそれを唯一の希望に慣れないシステム開発に携わった日々を過ごしました。同期としてすでに数日前に同じ業務で雇われた30過ぎの専門学校卒の技術者と意見交換したのですが「給料貰えるだけで幸せですよ」と語っていた。苦労を重ねていたらしくこれでもラッキーな方だという。

上司は元大手の技術者で本人曰く顔が広く、そのコネでシステム開発の仕事を取ってきているという。ただ年齢的に開発はしんどいので、手足となる技術者が欲しかったらしい。労働市場は買い手市場なので技術がある人間を安く買い叩くことができたと思っていたようです。

7月に入り社長に面談をするといって呼ばれました。試用期間も終えて1ヶ月、そろそろ給与の見直しがあってもいい頃です。すでに案件も3件問題なく納品を終え4件目の開発に着手中。利益も出しているし成果を反映させてくれるだろう、いくらなんでも30後半の社員が手取り17万とかしんどすぎますからね。ものすごーく期待したんですよ。ところがね。社長はは開口一番「専務から何を言われたか知りませんが、XXさんの関わってる事業は儲かってないので給与の見直しはしません」と断言されてしまう。もうね、意味がわからない。利益出とったやん?それをおいらに回してくれればいいだけじゃないの?ってことを遠回しにいったが聞いてもらえず。失意の中、その件を嫁に伝えると当然のごとく激怒。2人で給料改訂があることだけが希望だったからな。求人票をよくよく読みなおすと「必ず見直す」なんて文言はないわけで。耳心地のよい言葉に騙されて入社してしまったんだとガックリした。何が一番効いたかというと、また就職活動しなくてはならないということだ。また辛い日々に逆戻りなのか、と。そんな7月、自転車での帰り道が非常に長く感じました。

4月のつぶやき

  • 今度の会社は、試用期間中を過ぎてからでないと保険に入れてくれない。まあね、ベンチャーだし会社小さいし仕方ないね…。 posted at 22:50:11

ハロワにはそんなこと書いてなかったんだよね。試用期間中はダメとか。常識らしい。そんなの会社都合じゃないか。酷いよ。

5月のつぶやき

  • 会社から健康保険被保険者証を受け取った。アレ? 3ヶ月の試用期間中は自分で払うんじゃなかったんだけっけ? posted at 21:46:07

結婚して小さな子供もいるので入れてあげた、とのこと。ありがたいけど釈然としない。「あげた」ってなんだよ。雇用の義務なんじゃないの?

0. 前回までのあらすじ


2009年10月付でリストラされた私は、不況で死屍累々の福岡・IT業界へ必死の思いで就活を行い、2010年4月にある超零細営業会社(以降A社)のシステム課に再就職出来た。30歳半ばの技術者が大卒1年目の給与しかくれない超零細会社へ就職したのが波乱の幕開けであった。

  • 明日から新職場へ初出社。ベンチャー系で社長がおいらより6つも若いけれどエネルギッシュで面白そうです。おいら職場で二番目に年上とかなんかちょっと若干焦るなw。 posted at 22:01:42

初出勤(2010/04/14)の様子のツイートがあるが、今となっては虚しいばかりだ。

13. おまけ 就職活動中に買ったものやオススメ

生活の足しにするべくアソシエイトします。よろしくお願いします。

自宅の母艦 MacBook Pro

Apple MacBook Pro 2.53GHz 15.4インチ MC118J/A

Apple MacBook Pro 2.53GHz 15.4インチ MC118J/A

  • 出版社/メーカー: アップル
  • 発売日: 2009-06-10
  • メディア: エレクトロニクス
福岡戻ってきてしばらくしたら2〜3年使ってた iMac の HD が死んでしまい大ショックを受けまして。中部地方へ行くまでは外付け HD で毎日バックアップを取っていたのに、戻ってきてからつけていなかったため、中部地方時代の娘の写真や動画が失われるハメに…。へそくりから Mac を買いなおそうと Apple Store 福岡店にいくと、 iMac にちょっとお金を足せば Mac のノートが買えるじゃん!と思い勢いで買っちゃった。

画面も広くなり動作もキビキビいうことなしですが、現在職場では2液晶+ iMac に囲まれる生活のため 15.4 インチの画面でも狭く感じてしまいます。ひところを思えば随分贅沢になったものです…。

再就職のお供 acer ホワイト

acer Aspireone 751 AO751-BW26 ホワイト

acer Aspireone 751 AO751-BW26 ホワイト

退職が決まって福岡に戻ろうとしたとき、ネット環境がすぐ復活できるか不安だったのと、外でもネット接続できる環境が欲しい(=嫁を避けるために)ということで手頃なノートを探していたら目についたので即決。そのままヨドバシのワイヤレスゲートに登録した。これが私にとっては大当たりで、マックで散々使い倒したけれど月額380円ですから大いに活用できました。比較的都心である福岡ですから、どこにいってもマックはありますからね。

また、Windows OS が手元にあることも大いに有効でして、就職活動だとやっぱり Word 、Excel などで資料を作らないといけないケースがありますから助かりました。SD カードも読めるから Macbook ともデータ交換できますし、再就職したてのころは自分用のマシンがなかったので持ち込んだりして縦横無尽です。ミニノートはあると便利ですよ。

具体的な退職、転職の手続きを知る

退職・転職を考えたらこの1冊 改訂4版 (はじめの一歩)

退職・転職を考えたらこの1冊 改訂4版 (はじめの一歩)

  • 作者: 岡田 良則
  • 出版社: 自由国民社
  • 発売日: 2008-10-29
  • メディア: 単行本
ネット上の情報もありますが、やっぱり本のようにきちんと情報が編集されていないと自分で細かいところまで調べないといけないから面倒です。私はこの一冊で十分用が足りました。改訂5版が今月の3日に出ているようなので、読むのならそちらがよいでしょう。

早めに読んでおくべきだった就職の心構え

就活前の必読本「あなたの会社選び」をコンサルティングします

就活前の必読本「あなたの会社選び」をコンサルティングします

  • 作者: 内山 力
  • 出版社: 産能大出版部
  • 発売日: 2007-12-05
  • メディア: 単行本
就活中に嫁から渡された1冊。リストラされる前に読んでおいて、効率的な転職を試みればよかったなぁという後悔があります。会社についてどういうイメージを持つべきか、どう接するべきかということがわかると思います。ただかなり理想的な話が多いので、うまく現実と折り合いをつけないといえけないのでそのあたりは個人の事情に左右されるでしょう。

思い出したら追記します。

12. 求めよさらば与えられん

3月もぼちぼちと面接が入ってきて、とはいうものの週一件あればいいペース。大手は面接してくれたけどどこも感触が悪かった。安い給料で雇おうとか考えている会社は私のような技術者兼管理者は欲しいけれどコストを考えるとなぁ、といったところみたい。よく聞いたよ、いて欲しいとは思うけれどねと。

対価に見合うだけのパフォーマンスを出すかどうかにこだわっているけれどさ、実際のところわからんよねぇ。能力も環境や周りにいる人によって変わってくるものね。それを求職者個人の資質のみに還元されてしまうのはどうかと思うんだけれど。一緒に育てていこう、とか頑張っていこうぜとかないと。

こんな目にあったから、今後公的に保証されるような仕事として資格を取得して活躍するのを目標にしているんだよね。最低帰宅後1時間は勉強しているけれど、疲れが溜まってきててなかなか集中できない。けれど言い訳したって試験は受からないので、鞭打ってDVD の授業受けてる。

で、結局3月には仕事が決まらなかったorz。やっぱり新年度から働きたかったし、逆にこのタイミングで入社できなかったら次はどの時期になるんだろう…と心が折れましたねぇ。雇用保険は5月で切れてしまう、ということもあってげんなりしてました。

すると4月に3件面接が決まり、2社から内定をもらうことになりました。一番行きたかったところは社長面接で落ちました。なんかね、ぞんざいな面接だったので今思えば腹立たしい気持ちになるけれど、ま、いいや。断った会社はまたしても東京移住の可能性が会ったので断りました。条件よかったけど。

で、いま務めている会社は、福岡の西にあり住居からもチャリで通える範囲、給料と会社の規模はミニマム過ぎますが、試用期間以降の給料を見るまでは頑張る方向です。希望額まで相当離れてるんで、嫁を楽にさせるには超頑張るか資格とってさらに転職するかですけれど、まずは定期的にお金が入る、そんな状況になりました。早く中流階級に戻りたい、そのために帰宅後も勉強しないいけません。若いときに正しく苦労していれば、としみじみ思いますねぇ。

というわけで、現在は残業代もでない超零細企業のシステム開発というなの何でも屋をやっています。成果を出して給料をたんまりふんだくりたいと思います。娘のためにも頑張りますよー。

 ~ Fin ~

11. のた打ち回る日々

1~2月も引き続きシステマティックに履歴書爆撃は続けていましたが2社ほど反応があった。一社は合同説明会で話をさせてもらったシステム設計の会社で、連絡くれたら面接するから、というので連絡したら面接してもらえたんだけれど…。理想を話してくれたけれど結局私の分の利益が出せないからいつのまにやらフェードアウト。

もう一社は募集内容と面接内容が大きくことなっているという嫌がらせか?と思える所業だった。なんでも募集時の仕事がなくなったので、もう一つの仕事をやってみないか?ということだった。ここの社長は私のような一介のリストラ社員に口の利き方なっとらんと、細かいところを指摘してくれるいまどき珍しい人で、腹ただしくも勉強になった。再三やってみないかと誘われたが、やったことのなさすぎる仕事だったので丁重にお断りした。そういうこともある。

2月も後半になるととたんに面接の機会が増えてきた。年齢的なことも考えて管理職的な仕事の求人にも応募したためか、そういった会社からの面接も受けた。断ったある会社は結構有名な業界でも大手のフードチェーンで、その店長+将来的にシステム管理者はどうか、との話しがあった。内定まで貰ったが残念ながら東京での業務になるかもしれない、九州には戻れる約束はできないという話だったので断った。給料もよかったし住居手当もあったので魅力的ではあったんだよね…。ただ店長って超絶大変っていう話しもあったしなんともいえないね。痴呆気味の親父が福岡にいるから離れる分けにもいかなかった。

システム開発系の求人も減っているとはいえ、皆無ではなく、結果的に2~3社から面接をしてもらうことができた。九州地元企業なので企業規模は大変小さいけれど、どんな会社も最初は小さいわけだし、贅沢はいってられないよな、とか思った。改めて今まで適当に生きてきてここまでこれたのはラッキーに守られていたんだなぁと。これからはちゃんと考えていきていかないといけないよ、ということだと受け止めましたねぇ。

10. 心の安定を求めて

だらだらと10月が過ぎ、このままではなにも変わらん、と思った私はとにかく自分に「何か」をプラスしないと駄目なんだろうな、と思い(+嫁の毒から逃れるため)会社説明会や県、市、ハロワがそれぞれ主催する就職支援セミナーや就職相談を利用するようにした。

無職だとどうしても他人の目が気になり負い目となって外の人との触れ合いを拒絶してしまいがち、部屋に篭りがちになる。結婚もせず子供もいなかったらそのまま一年はニート生活だったかもしれない。是が非でも就職しないといけない状況が後押ししてくれたのだと思う。普段より出かけるようになった。

11月になるとなりふり構わなくなり、とにかく登録できるものは登録する、ってことで派遣会社3件、Web 転職サイトもマイナーで聞いた事ないところまで登録し、SE、以外の業務でも可能性がありそうな職種ならなんにでも応募するようになる。振り返るとこれは無駄だった思う。

だって応募は覚悟がなくてもできるけれど、面接に出かけるとか入社するにはそれなりに腹をくくらないといけない。だけど腹をくくるなら自分に向いた業種なり仕事につかないと長続きしないもの。偶然業種を大きく変えて成功する人もいるらしいが極めてまれ。近縁の仕事に付く方が現実的だ。

内定貰った会社のうち、飲食店の店舗経営ってのがあったんだよね。東京だし、給料もよかったし、実際のところ人を動かす仕事は嫌いじゃないし、仕事でもリーダーやったり人をまとめていたから成功したかもしれない。だけど基本は技術者だから迷った挙句断った。家族や実家が福岡だから。東京はもう若いときに10年過ごしたしもういいよ。

11月でWeb、書類で申込んだもののSE、Web開発系の案件については、芳しい返事はなかった。半導体論理設計の仕事は九州壊滅だったのでSE的及びWeb開発をメインに応募をしていたんだけれどダメでした。おそらくSE、Web開発者としての経験値不足と、年齢が高いことがダメみたい。

でもね、現場ってさ、若い技術者ばかりのところもあるやん。そこに年齢的に経験を積んだ技術者を配置するっていうのは十分ありだと思うんだけれどねぇ。技術というよりリーダーとしてチームを率いるスキルとか。ここをかってくれる企業はなかったんだよねぇ。実際そういうスキルって有用なのにな。

11月の嫁の暴言は相変わらず止まらない。当時の日記をまた開いてんるんだが、シンドイよね!趣旨は「どうして私がこんな目にあわないといけないのか」「不安にさせるな」「クビになる人間は生きる価値なし」ということなんですけれども。逆に今まで結構稼いで贅沢してたんだが感謝された記憶なし。

12月。とにかく書類が通らない。Webで情報探していると、市で就職支援セミナーを無料でやっている、というのですがる思いで申込んだ。12月から1月明けまでほぼ平日毎日、朝9時から13時まで。参加者は20代中盤から30代後半まで6名ほど。よくあるポジティブシンキングセミナーだった。

だからってバカにできないんだよ。萎縮してる精神をほぐす必要があった私には有用だった。初対面の参加者同士で自己紹介の練習したり、自分のことを説明したりして自分の性格を分析したり理解したりして。その後就職するために、いかに書類を読んでもらうか?というテクニックを学んだり。

面接の練習は何度もやった。思ったようにしゃべれていないんだよね。意外と出来ていないということがよくわかったり。書類の書き方なんていうのも事細かく教えてくれました。今就職活動をしているみなさんも、市や県のそういう施設やセミナーを利用しない手はありませんよ? なりふり構わずやる。

そうしていると情報が縁が転がってくるものです。セミナーに参加しWeb系の仕事を考えている、という話をしていたら、市でそういうWeb・DTPセミナーが急遽開催されることになったから、申し込んでみれば、といわれました。Webの仕事はなんだかんだいっても需要はある。

SEとして会社に潜り込むにしてもそのあたりの知識を持ってますけれどなにか?というためにはそういったセミナーに参加したことも履歴書や面接で主張できるので有用だろう、ということで即申込みました。おそらく申込みの順番では2番だったのではないかな。受験番号が2番だったんだよね。

このWeb・DTPセミナー、無料だし仕事に使える、ということで定員30に対して100名以上申し込みがあったんだよ。選抜試験は筆記テストと面接。結局受かった人というのは、再就職の見込みがありそうな人、ってことだったらしい。よかった、再就職できそうなステータスだったんだな。

1月中旬から3月下旬までのコース。学んだ内容はフォトショップイラストレーターからDTPの実技スキルを学び、そこからドリームウェーバー、フラッシュと通常半年かけて学ぶ技術を3ヶ月、実質2ヶ月(残りは卒業制作に当てられる)という無茶なスケジュールだったらしい。実際、しんどかった。

コンピューターの知識があってもどうか、という内容だったからなぁ。あと実際実習をしてみてこりゃ向いてないな、ってのもあっただろうね。私の場合、自分にはデザインのセンスはない、っていうことがはっきりわかった。逆にそういう人と一緒にシステムを設計する業務こそに興味があるんだなと。