9. 前門の再就職、後問の嫁

Webの就活サイトを利用した応募って簡単にできるんだけれど、サイト毎にいちいち個人情報を入力しないといけないのがスンゲー面倒くさくて死にそうだった。今後自分も含め、他の再就職者のためにちょっと便利になるサイト作ろうかなと今考え中なんですけれども、それぐらいなんつーかすんげー面倒だったなー。

で、Web応募の結果ですけれど、サイトの質によっていろいろだった。有名サイトなら会社もソコソコだからきちんと日程に合わせて返事をくれたりするけれど、中途半端なWebサイトだと、集まっている会社もアレなのか、返事をくれなかったり応募して2秒後に「残念ですが」メールが届いたりした。

9月からなにげなく始めた再就職活動。10月は再就職支援会社の面談、ハロワ通い、転職サイトからの応募、と3方向から攻めてみた。最初に偶然、某Web関連会社から面接してあげるメールが来たので有頂天になったが、実際会ってみると一言づつの集団面接で、あまりに扱いが酷く泣けた。

10月は8社ほど応募したけれど結局引っかかったのはそこだけ。あとはすべて書類落ち。この頃は自宅で Webを見ながらぼんやり過ごしていたからか、嫁から散々愚痴られてたのがノートに残ってる。嫁「机に座っててなんになるの?具体的に就職できる方法を私が納得するように説明して」とか。

嫁「6ヶ月(雇用保険のリミット。実際は8ヶ月分あった)経っても就職できなかったらどうするか考えているの? 無責任だよね」「先祖を大事にしないからクビになるんじゃない?」「クビになるとか、もうね、自分がダメ人間でだってことなんだから、それを認めなさいよ」

嫁「長男がクビとか親族や周りが心配する。実家にいって親に詫びてこい」「私は人を助けても助けられたことがない。こんな目に遭うのは屈辱だ。今後こうならないようにして、つかなんでクビなの?」「あなたの親や私が、あなたを甘やかしたからこうなったんだってことはわかっているよ?」

…当時の記録を読む返してみたが吐き気がするわ。さっき書いた文言はまだ優しいほうなんだよね…。あまりに酷いのは流石に書けないし、書きたくない。それにしてもよくこんな暴言吐けるものだなと、感心してしまう。相手の心よりも自分の怒り、感情が最優先。凄いな、ほんと女性っていうのは凄い。

8. 反撃の狼煙

福岡に戻ってきたときに、再就職活動を行うにあたりまず向かったのがハローワーク雇用保険の手続きをして就活する生活費を受け取るわけですね。私は240日分もらえることになりました。また会社都合での退職なので、即支払い日のカウントをしてもらうことができました。

次に解雇した会社が契約していた再就職斡旋会社へいき、どのような活動をすればよいか、というアドバイスを貰いにいきました。最初に簡単な性格判断テストを行い思考パターンとしてどのような傾向があるかを提示し、参考にするようにといわれましたが、だからなんだよ?ってなもんでした。

担当者「再就職活動をしていくと、何度も書類や面接で落とされます。これは仕方がない。ここで結構ダメージを受けて内にこもってしまう人も多いのです。ですからまず、書類や面接で落ちても平然としていられるようにして下さい。また、気分転換にもなりますから、こちらには2週に1度は来て下さい」

なめてたけどこれはね、書類や面接で落ちるたびに心が沈んでいって胸が実際痛くなった。社会から拒否されてる!と思うと平衡感覚を失われていくんだよね…。そしてやる気がゼロになる。そんな気分を切り替えるため、私は毎週1回会うようにしました。精神安定という意味でかなり重要でした。

退職後の手続きの基本は、雇用保険、健康保険、年金、と3種。リストラ一年生のみんなは忘れずに処理しておこうな! 特にリストラした側の会社がテキトーなところだったら関連書類の発行が遅れて大変なことになります(例:健康保険の任意継続)。こういうのって経験しないと分からないものですよ。

市民税、県税の高さに「これ公務員の生活費になるんだ…」とブルーになったり、健康保険や年金の支払を貯金から支払う虚しさって、一度体験したら忘れないね。なんのために働いているんだろう、税金のため?とか思ってしまうね。もう二度と無職は嫌。ところで phaさんは税金どうしてるんだろ?

9月末で退職だったので、正式には10月から正式な無職になりました。贅沢をしなければ退職金や慰労金雇用保険で1年は余裕で暮らせるし、貯金を含めれば5年以上は無職でも大丈夫ではあった。住宅ローンといった借金も皆無だったので、同世代でクビになった人たちより条件はよかったかも。

とか思って心の支えにしてた。そうでも考えてないと就活はやってらんないよ。テレビや新聞では不況不況と煽っている。メディアを通じてリストラされてもしかたないよね?という社会雰囲気を醸成しようとしているとしか思えなかった。あの頃は不況のニュースが流れる度に嫌な気持ちになったものだ。

7. 流浪の旅へ

そして9月中旬、中部地方から福岡へ再び引っ越すことに。5月に越してきたばかりだから、5ヶ月少しの滞在となった。子どもが小さかったから遊びにいくこともままならず、生活をエンジョイする暇がなかったなぁ…。コメダ珈琲店でのモーニングを頂きながら午前中をだらだら過ごすのが唯一の楽しみでした。

同時にリストラされたもう一人の同僚は、今頃どうしているだろうか。彼はしばらく中部地方で就活をしてあたりをつけてから福岡に戻るとかいっていたけれど。彼も私と同様、中途で入った組。そういえばリストラメンバって中途組と40歳以上の生え抜きばかりだったな。費用対効果が薄いんだろうね。

転勤時には歓迎会をしてくれたのに送別会はないというw。リストラ組で集まって飲んで騒いで帰ったら嫁激怒「そんなことしている場合か!就活しろ!」と。平日から飲むこともなく、小遣いもカットされ楽しみもインターネッツだけで無駄遣いもせず、首になったことを癒すために一晩飲んだだけでこれ。

ほんと女性っていうのはほんと。常時ステータスが「世の中を恨む」モードに入っている嫁にはなにをいっても無駄だし、無茶な約束させられるし(ex:1ヶ月で再就職して)破ったら「どして嘘つくの!」と迫ってくる。約束っつっても一方的な宣言であり俺は了承していないのよね。こんなのばっか。

このクビになって福岡に戻ってくる、という時期が一番家の中が混乱していました。以前も書いたかもしれないが、嫁は祖父が大企業の研究者で小金持ち、父も大企業でそこそこ稼いでいたので、夫は大企業に勤めるし会社はツブレないしクビにもしないし大きな一戸建てを立てるものという決め付けがある。

ただ嫁は賢いし柔軟なので、流石にそういう社会適応能力を持つ夫では「ない」し、世の中不景気で仕事がなく、再就職も難しいし、夫をクビにした会社にも会社の都合がある、ということは理解しているんだよ。だけれど、そういう目にあうのがなぜ「私(嫁)なのよ?私が一体なにをしたっていうのよ」という気分が抜けない。

嫁「私が極悪非道でろくでなしならこういう目にあうのも納得がいく。だけれど、夫の親に従い、子供を産み育て頑張っている私にこんな不幸が訪れるなんて、意味がわからない!」というのですよ。嫁は因果応報とか、頑張ったら成果が出る、みたいな単純な法則で世の中が構築されていると思っている。

だけれど、世の中を見わたせば「矛盾」なんていうものはゴロゴロ転がっているわけでね。人生がどっちに転ぶかなんて分からないじゃない? そういう現実を受け入れる器がないんだろうなぁ、そういう現実の辛さを世間や親やその他の人たちがカバーしてくれていたから、そんな目に合わなかっただけで。

変な言い方ですけれど、現在の嫁は以前に比べて随分物分りの良い女性に変化している。これも今から思えば私のリストラによる理不尽な状況をくぐり抜けて手に入れた強さなのだろうし、同士に子育てによる子供の理不尽なアレコレに対処してきたからだ。まああれだ、人間的深みが出たのだろう。

6. 身内の反乱

毎日顔合わせるたびにおおきなため息をつかれ、いい加減にしろというと泣き崩れ、自分の不幸を延々と語りだす。当時は子育ても加わって欝だったこともあるが、お互いボロボロの精神状態になったよ。唯一元気だったのが娘で、彼女の笑顔だけが希望だった。いや、これはホント。子供、侮れないよ。

9月は怒涛だった。労働基準局に相談しても「法律上問題ありません」とにべもない。クビ確定なので少しでも有利な早期退職制度に応募することにした。会社へ告げた時の人事のあの嬉しさのあまり漏れてしまう微笑に殺意を覚えた。溜まっていた年休を消化するため、 9月の第1週には出社せずに済んだ。

親に事情を話すと「困っているなら家(実家)で暮らせば?」といわれて即飛びついたのがいけなかった。そっちに相談するより嫁に話をつけるべきだった。ここからまた嫁との確執が生まれることになるんだよ。人間ってピンチになるとその人の根っこの部分をうっかり見せてしまうのですねぇ。

そもそも今いる中部地方で生活するのに理由がなくなったので、まず福岡に戻ってから就職活動しよう、地元だし仕事もあるだろう、と思って動いてた。幸い福岡に戻るための家は実家がある。今住んでいる家の家賃も勿体無いからすぐに引越しできるよう早速契約を解除したんですね。嫁も了解したはず。

で、実際引越し業者を決めて、さあ数日後に引越そうとしてた矢先、親から電話があって。「やっぱりおまえたち家族を甘やかすのは良くない、だから同居しない」といきなり手のひらを返してきてさ。おいおいおいおい、どうすんだこの引越用にまとめた荷物や、契約を解除したこの部屋は?

是が非でも同居を拒否する親父。今思えばこのときから痴呆がはっきりしだしたわけなんだけれど…。さて、そんなことより。引越しを中止するのに係る費用より新しい住まいを探した方が特、ということで、無職なんだけれど部屋を探した。幸い特に仕事については詮索されず借りることができたんだけど。

今度は嫁が「あなたの親は酷い」という。そりゃ最もだ。「でもそもそもいきなり福岡に帰ろう家を解約したあなたが悪い。そもそも仕事福岡にあるの?中部地方で探してから引越しすればよかったじゃない。東京にも近いんだからそっちで探すとかして、決まってから引越せばよかったのに」

後出しジャンケンは必ず勝てるよなぁ、とぼんやり思いながら嫁の罵倒を聴いておりました。優先順位が嫁と異なっていたんだな。私は一番に地元である福岡で生活したい。そのためにまず引越しだろうと。嫁は第一にとにかく生活安定。確実に就職してからだろ、と。実際働く人間の意見は無視なわけ。

「あなたは生活のことを考えていない!」

いやいや、考えているからこそ、いろいろ考えて決断しているんだけど…。なにをやっても気に入らないんだよな。こういうモードに入っている以上どうしようもない、怒鳴られながらいつもぼんやりやり過ごしているんです。皆さんの家庭はどうですか?

5. 緊急警報発令

そして8月の終わりに2回目の早期退職制度の説明会があった。目標としていた人数が集まらなかったので再度告知したいうわけです。最後に、「次回から個別に連絡します」という話になった。まったく、こんな状況になっても自分が対象になっているなんて思わなかったんだから呆れるよな。

そしてその連絡はメールを通してきた。「重要な打ち合わせがあるので来て下さい」と。指定の部屋にいくと人事部長と常務が並んで座っていて。ひとしきり会社が努力してけれどリストラしなくちゃならない理由を話した後、「早期退職を検討してくれないか」とズバリいわれた。

「拒否できますか?」
「できるけれど、整理解雇になりますよ。そうすると早期退職でもらえる手当がなくなります」

といわれた。「どっちにしてもクビなんですね?」と尋ねたがふたりとも言葉を濁す。都合の悪いことは言葉にしないんだな、会社はもうイラネって思ってんだなと思い、視界が一瞬真っ白になった。

うすうす思っていたとはいえ、はっきりクビだと宣言されたわけで。信じたくない気持ち、いやありえんやろ、と。そんな酷いできるわけがない。いろんな思いが錯綜して。本当に吃驚するとこんな状態になるんだね。動悸が早くなって汗が吹き出した。「考えておきます」と応えて部屋を出たとき平衡感覚がおかしくなってたよ。

そして1番の心配はなんといっても嫁になんというか、だ。子育て真っ最中で一番荒れている時期にこんな爆弾を投下するなんて、命がいくつあっても足りない。足りないけれどいづれ話さないとダメなわけで。結局一週間後に話したんだが、その隠していた期間のしんどいことといったらなかった。心臓にナイフ突きつけられて一週間だった。

いざ、嫁に「クビになった」と伝えたところ、激しく狼狽しおいらを5時間説教。なお嫁の説教は最長12時間連続というのがあるので、この程度は楽勝なのですが、そのあと会社、社会、人生、おいらの存在すべてを否定する論証を聞かされるハメに。とくにおいらの人生の歩みについては手厳しいというか。

嫁「普通の人間なら首にならない。よっぽど欠陥があるんじゃない? 私だったらぜっっっっっっったいクビにならないけどね。なぜなら首にならないように結果を出すから」いやー、まあなんというかね、理屈は正しいのかもしれないがあれなんだよね、おいらは技術者ではあるんだけれどもさ。

仕事って、ある人間が欠けたら回らない、ということになったら困るから極力属人要素を排除していくわけですよね、フレキシブルにできるように。おいらの部門やチームではおいらを旗頭に徹底した切り分けを行ってきたので、正直いくらでも入れ替えが効く仕組みにしてたんだよね。で、おいらが対象w。

逆に、確かにあの人しかできない、ってな仕事を抱えていた人はクビにはなっていなかったけれど、それは専門技術を極めた個人技能の体現なのか、単に業務の切り分けができず整理できていないだけなのかは、おいらからは言えないけれどさ。まあそんなわけで、クビ宣言されてからは家に居づらくなった。

再就職までのよくあるお話、始めます

Twittter で継続的につぶやいていた再就職についてのアレコレですが、ひとまとまりになったので、ここにまとめて掲載しておきます。再就職を体験された方、あるいは体験中のかた、果てはなるかもしれないそこののアナタ。それぞれにとって少しでも何かしら会得するところがあれば幸いです。暇つぶしにでもどうぞ。


追記:内容が幾分生々しいので、読んでいて嫌な気分になるかもしれません。ご留意下さい。
なお、再就職の簡単なあらましは再就職活動、簡単振り返りを御覧下さい。

4. 束の間の休息

転勤した5月も私に仕事はなく、以前の仕事の資料作りや勉強会の開催のための準備をしていた。九州時代の仕事についての問い合わせも時折来たがメールで返事をすれば良いレベルの案件であり、実質的にやることがなかった。単身赴任時代の職場へいく話が何度も出たがいつしかたち消えになった。

一緒に福岡からやってきたメンバは5人。そのうち年齢が近いもう1人も仕事がなくブラブラしていた。6月になると社内で暇だったメンバが、キャリアチェンジと称して、プログラム開発講習にでることになった。なんでもそれに出ると、助成金がもらえると。稼ぎのない人は全員受けることになった。

キャリアチェンジすれば仕事はあるとかいわれたが、結局仕事なんてなく、7月には第1回目の早期退職についての話があった。このときはまだ、俺が対象な訳ないよwwwwと思っていたんだからお目出度い。自分の立場を考えればリストラなんて十分ありえたのに。正社員だから安心してた部分もある。改めて自分の甘さに反吐が出る。

転勤してからは残業禁止、役職もとかれ地方手当も削減、などなどあり、手取りが激減。嫁からは「生活できないんだけど?」と泣かれながら切れられる。手取り30万以上だったのが20万代になったんだからそりゃすぐには対応できないわ。即私の小遣いはゼロになりました。それは就職した今でも変わりません(逆に俺個人の貯金を切り崩して昼飯、交通費、小遣いを出している状況。手取りが大幅に減ったからね…)。

会社はこうやって早くやめるようにダメージを与えていたんだろうな。今思えば戦略的に自発的にやめるように冷たくあたっていたんだと思う。上司もよそよそしいかったなぁ、振り返るとそう感じるよ。もう上のほうではそういう通達があったんだろうね。あー、思い返すと腹が立つ。

8月なると早期退職に応じた社員がどんどん姿を消していった。中堅の今後期待されている人からやめていくんだからね。また、貢献してきた重鎮も揃ってやめていったよ。それでもまだ俺は大丈夫だ、と無根拠に思っていたんだな。賢い人はここで再就職活動をひっそりと始めていたと思う。

俺はどうだったかというと、せっかく福岡から出てきたばっかりなんだし、娘も小さいしそんな社員を切るとか気の毒に思ってくれるだろうとか考えていたからね。甘いよね。会社にとってもれば地元の社員を優先したいし若い社員を残したいんだよ、なにせ給料が安いからさ。

8月も当然仕事はなく暇なので定時退社。頗る規則正しい健康的な生活だったので、痩せるためにジョギングを再開した。もともと90kgあった。一昨年一念発起して始めて、7kgぐらい痩せたところで単身赴任なっちゃって。生活リズムが一人暮らしだし忙しかったしで荒れてもとに戻っていたんだ。

今は室見川の近くで生活しているので、そこの河川敷でジョギングしているんだけれど、中部地方でも住居のそばに川があったので、そこでほぼ毎日朝早くか寝る前に走った。このときはまだそうだねぇ、86.7kgが最高だから3.3kg程度痩せたって事になるかな。