3. 濁流に押し流されて

福岡営業所はもともと地元志向の技術者ばかりが集められていたこともあって、8割が退職し地元で仕事を探すことを選択。その中には私のように子どもが生まれたばかりの後輩も含まれていた。半導体開発の業務は2009年4月の時点でほとんど求人はなく、半数の人間は別業界へと移っていった。若い技術者は景気のよい半導体設計系に引き取られた。

営業所解散飲み会の幹事を何故か引受けることになってしまった。会社、自宅の引越し準備でそこそこ忙しかったものの、業務自体がないので特に滞りもなく開催できた。会場は飲み放題食い放題の和牛焼肉の店。若いメンバが狂ったよう貪り飲み干しておった。それを横目に30代はしみじみとしていた。

会場へ入るときに見上げると、桜が八分咲きになっていた。普段なら花見酒だとはしゃいでいたものだけれどこのときばかりは、花の輝きの短さが自分の状況とダブって見えて切なかったことを覚えている。通りすぎるご機嫌な酔っぱらいを怒鳴りつけてストレス発散してやろうかとヤサグレたりした。

親も妹2人の家族も福岡に住んでいる。というかそもそも今の会社に入社したのも福岡へUターン就職するために入ったわけですよ。だのにまたしても福岡を離れることになるとはね。転職なんてすぐできないだろうから、中部地方へいったのなら将来そこに住み着くことも考えないといけなかった。

親に相談したけれど、親父は「生活が第一やろ。さっさと中部地方へいけ」といいつつ「ところでいつ戻ってくるんだ?」とダブルバインドしてくる始末。あのな、親父の時代とは違うんだよ、といったところでどうかなるわけでもなし、ああ、まあ、頑張るよ、というに留めた。母は嫌がっていたね。

GW明けに引っ越すことになったので家族全員で送別会を今度は地元のお高い寿司屋でやりました。各家庭それぞれ0歳〜1歳の子供を抱えていていろいろ大変で、特に北九州にいる上の妹家族は福岡市まで御足労頂いたことよ。別の日には福岡地元の友人家族とお別れ会。全然現実感がなかったな。

幼児3ヶ月を抱えての引越し&新幹線移動に嫁ピリピリ。そりゃそうだよな。今思い返しても無茶してたなと思うよ。悪いことしたな、という気持ちと、俺だって被害者だよという気持ちに揺れてた。この思いは再就職するまでずっと奥底で燻っていた。もう一つ、しょうがねーじゃんという気持ちもあった。

転居先は中部地方の公団にした。家賃はそこそこだけど、敷金礼金不要、JR駅に比較的近く、目の前に大きめのスーパーがあって幼子を抱えた我が家にとって頗る便利な立地だった。部屋構成は福岡時代と一緒だったが間取りが小さく収納スペースが少なかったので、荷物を捨てる捨てないで随分揉めた。

私は大きな本屋があれば基本的に満足。徒歩10分でTUTAYA、徒歩30分で大型書店とブックオフがあったので十分。あとは九州になかったサイゼリアコメダ珈琲店が意外と使い勝手がよく利用していた。コメダは九州にあってもいいと思う。流行るんじゃないかな。